⚠︎記事内に広告を含みます。

【日本一周】お金を使わない旅をすると、逆に高級な飯が食えるという奇跡。

 

気仙沼や陸前高田等の東日本大震災被災地を越えて、大都市仙台駅へとやってきた!

政令指定都市だけあって、巨大な街。中心部は大阪とそう変わらない。

初っ端から色んな奇跡が起きた、面白い1日となった。

 

image

 

 

お金を使わない旅をすると、逆に高級な飯が食べられる

 

この旅を初めてから続いている奇跡なのだけれど、普段はひたすら節約している(1日の食費:300円)というのに、大変高級なご飯を食べることが出来ている。不思議なことに。

今日も、初っ端から公園関係者であるおばちゃんにたくさん食料を頂いてしまった。それも被災の影響がある塩釜市という場所での出来事。なかには仮設住宅で暮らす人もいるので、余裕のない暮らしでなお支援してもらっている。

 

image

 

さらにTwitterで声掛けいただいた紫陽花さんに、仙台名物である牛タンを奢って頂いた・・・。

1.5人前で1700円程度と高級な飯をペロリと食べてしまった。他にも旅に役立つ食料を大量に頂いてしまい、なんというかひたすら申し訳なくなりました。

結果、普段は食パンばかりで生き長らえているものの、色んな方の支援を頂いて一般水準以上の食事をわりと頻繁に頂いている状態です。自分の成果でもなんでもなく、ただ人に支援してもらっているだけなんですが、日常的に食事に困っている状態なので本当に感謝です。

 

貧乏旅というと「事情によって地域の名産品も食べられないのか、可哀想だ」というイメージが付きやすいけれど、結果的にそんなことはないという。そもそも食事にあまり関心がない分こだわりもないのだけれど、やっぱり名産品は美味しい。

金銭には、「いつでもどこでも、自分の意思で自由に行使できる」という保証がなされている。一方、人に頂く場合は全てが不規則だし、頂けるかわからない。そもそも期待すると貰えないものだ。

お金の方が便利なのは間違いないけれど、価値観を多少でも疑っているならこんな生き方でもいい。お金の本来的な使い方が徐々にだけれど、わかってくると思う。そう、まさに今自分が受けているやり方が、最もお金の価値が活きるのではないかな。

 

参考記事:お金が無くなっていくにつれ、高まる恐怖の感情。お金を出来るだけ使用しない生活について語ってみる。

 

これは、余白があるからこそ起きることだと思う。「余白にはカオスが生まれる」・・・なんて言葉を聞いたことがあるけれど、まさにそれを実感している。時間が空いているからこそ話しかけて貰えるし、それがまわり回って様々なご縁に繋がっている。

ということで、敢えてガチガチに肩書きやお金で身を固めるのではなく、いっそのこと手離してしまうのも面白い。

 

 

日本人は「受け取る力」がなさすぎる

 

食事を奢ってくれる方もいるし、直接”カンパ”として現金をくれる方もいる。

このような生活をしていると、「そもそも自分は支援を受ける価値があるのだろうか」と悶絶することになる。

あくまで利己的に旅を進めているだけだし、日本一周なんてペダルを漕げさえすれば誰でもできる。

 

と自分で言いつつ、実際は「そんなに卑屈に、謙虚に考えなくてもいいじゃない」とも思ってる。

本来自分が食料を得なければいけないところを、相手が汗水垂らして稼いだ賃金でこうやって支援してもらっている。

もはや感謝でしかないのだけれど、一方で「支援してもらったなら、必ず土下座しなさい」みたいな、「とにかく謙虚に謙虚に、時には卑屈になってですら頭を下げるべきだ」というような意見を貰うこともある。

 

未だに日本では”自力本願”が美徳になっているけれど、いくら経済的に成長したからって1人で生きていくことはできない。それは、直近では東日本大震災で体験済みだ。

それでもなお、自力本願を強制する場もある。人に迷惑をかけてはいけないという発想は、「学校でイジメにあっても、周囲に迷惑をかけないために絶対不登校になってはダメだ。もし集団で暴力を振るわれても、絶対に逃げちゃいけない。死ぬまで耐えなさい」という発想と一緒だと思っている。

 

参考記事:「他人に迷惑をかけてはいけない」は幻想で、人は迷惑をかけられたい生き物である。

 

「空気なんか読まなくていいし、卑屈になる必要もない。謙虚になりすぎるくらいなら相手にドンドン迷惑をかけるべし」と思って行動しているのだけれど、どうもひどく遠慮してしまう。ということで、この生活を通じて「受け取る力」を鍛えているつもりだ。実情は、ひどく遠慮してしまうのだけど・・・。

 

 

変化し続けるものは、死なない

 

 

日本一周の話をすると、「自分には無理だ」とよく言われてしまう。

確かに時間がなければ、難しいかもしれない。現実的に、お金もある程度必要だ。

最近”他力本願で生きる”という生活が一部で流行っている(?)そうなのだけど、もしそういった生活をしたい場合、例えば1年単位でやってみればいいと思った。

 

「生きることは 変わることだ」というのはナウシカのセリフだけれど、”諸行無常”の言葉の通りあらゆるものは変化し続けている。

旅を続けている間にも世の中は変化していて、ただ走っているだけに見えて自分自身も変化を続けている。逆に固定の価値観に囚われると、直近では問題なくてもいずれシステム障害を起こすことになる。現行の義務教育制度のように。

だからこそ、常に「もっと良いものはないか?」とか、「これっておかしいんじゃないの?」と常に試行錯誤するような生活をしていれば、恐らく死なないのだと思う。「自然は空白を嫌う」である。(ドヤッ)

 

参考記事:義務教育をあえて選択せずに9年間過ごしてきた日々と、伝えたい3つのことをまとめてみた。

 

 

旅人は透明人間になれる

 

image

 

移動するつもりだったのだけれど、結局仙台市内に停滞することにした。

 

夜の街を移動していると、ふとした瞬間に「自分は透明人間状態なのではないか」と錯覚することがある。

他人から見れば、自身は”何者でもない自分”で、日本一周の看板を付けていない限りは存在しないも同然だ。

その”透明人間状態”から見る街の景色や人の日常を垣間見るのが大好きで、ある程度の人口規模を誇る街に着くと、ついつい自転車を置いて練り歩いてしまう。癖になった。

 

参考記事:何者でもないこの「私」を受け入れてくれる夜の街。旅人は透明人間になれる。

 

image

 

人生においては自分が主体となるはずだけれど、この状態になると自分が存在してる感覚がなくなる。

自身が死靈となって街を彷徨っているような感覚に陥るのだけど、どこか安心している自分がいる。

「目の前にいる生物は自分と同じだ」と思って安心するのか、それとも「自分以外にも確実に生命が存在している」と気づいて安心するのか。自分でもよくわからないけど、なんというか落ち着く。まさに旅をしているといった感じ。

 

元々は海外に行くつもりはなかったけど、ぜひこの状態で海外の街を見つめてみたいと思った。何か変化があるとは限らないけど、文化の違いを透明人間となって、じっくり見つめてみたい。

それでは。

4 COMMENTS

用務員のおじさん

(^O^)ウホホ~~

まいど(^_^)

この記事!おじさん好きよ~(o^-‘)b
夜の都会の闇に吸い込まれ隠れて行く感覚良いね

この記事の内容でまた、よねすけと哲学的な話しをしたくなったは(v^-゚)
スタート直後のよねすけとは違うし尚更感じたのかもねぇ~(^_^)

初コメントを書き込んだ頃を思い出したので、、、

返信する
yonesuke

多聞天さん
おお、多聞天さんからお言葉をいただけるとは。
そう、透明人間になったような感覚に陥るんです。それがたまらなく心地良いんですよ。

お話したいですね~!日本一周終わったら遊びに行きます!
ただスタート直後とくらべて、多分ほとんど変わってないと思うんですよね。スタート直後はただ生活の変化に翻弄されていただけですし、今は慣れてきたというだけで。
15年組で再開するときは、ガレージで再開したいですね!16年組も迎えて!

返信する
コスモ 62歳

君のブログ全部読ませてもらいました。
ファンになったよ。君が美瑛で会った歩きダ-のmotさん現在男鹿半島から大曲に
移動中です。群馬に来たら訪ねて来ますとのこと今から楽しみにしてます。
君も日光の後にでも寄ってください、美味しいご飯と宿くらい提供するよ。
頑張って旅続けてください、くれぐれも安全第一に。

返信する
yonesuke

コスモさん
わお!全部読んでいただいたんですね・・・ありがとうございます!
もときさん、もう到着されたでしょうか。

なるほど!本来のルートからは大きく外れているので、当初はお伺いするのは無理かなーと思っていたのですが、これから4号線で南下していく際にお伺いできそうです。細かい日程はいつになるかわからないのですが、もしよければご連絡先を教えていただけませんか?
可能であれば、下記メールアドレスまでよろしくお願いします!

yusukeyonezawa.a(あっと)gmail.com
(あっとの部分を@に変えて送信していただければと思います。)

返信する

コスモ 62歳 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。