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【日本一周】日光・中禅寺湖で野宿をしていると、母なる地球に抱かれているような感覚に陥る。この心臓の鼓動を感じている限りは多分大丈夫だ。

 

 

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しばらくブログを更新しない間に、仙台市から栃木県までやってきた。

仙台から南下して福島市・郡山市を通過し、宇都宮へ。しばし都市の雑踏に浸りつつ、現在読んでいる経済小説『ハゲタカ』の舞台で、日光東照宮等の世界遺産スポット満載の栃木県日光市へとやってきた。

頭文字Dで有名ないろは坂を越えて、標高1,167mの中禅寺湖畔で一夜を過ごしています。これまでの”気付き”を、まとめてみることにします。

 

 

現在地を確認するために回帰する

 

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仙台市に滞在中、公園でゆっくり休みたいと思い、お昼から洗濯を始めることにした。

 

日本一周中は、経費を浮かすために衣服を手で洗濯しなければならない。

普段洗濯機で作業をしている身にとっては、苦痛な作業だ。ただ同時に、ふと「豊かな時間だなぁ」と思うことがある。

効率化することが、必ずしも「いいこと」とは言えない。ありきたりな言葉だけれど、効率化されると同時に失われるものもたくさんある。

 

人間は慣れる生き物だから、時間が経過するにつれ「脈々と流れてきた時代を生きる感覚」が失せていく。過去と未来の文脈が途切れ、現在の生活が標準になる。世代が移り変わることによって、過去体験した直接的な感情が薄れてゆく。

もし常に豊かさを味わっていたいならば、一度”現在地”を確認するために回帰する必要がある。洗濯機が標準でなかったことを、一度知る必要がある。手洗いで洗濯をしていると、そのようなことを思う。

合理的観点からすれば”無駄”な作業でも、実行する意味はある。単純に、なぜか楽しい。ただ、手で洗濯するという行為であっても。

 

 

「こうしなければならない」ということはない

 

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生活が豊かになり、かつての産業革命時代のように必死になって働く必要もなくなった。だからこそ、自由に生きなければいけない。余裕を感じていなければいけない。ナチュラルでなければならない。自分の好きな仕事をしなければいけない。

 

「なんでもいいな」と思う。いつの時代も、「~ならない」ということはない。自身で規定するだけ。

その人が納得して行動したものであれば、例え嫌なものであっても必死になって貫き通したこと、死に物狂いで獲得したもの。全てが豊かで、素敵だなぁと思う。

時に「働くのは嫌でござる」とニートになったり、「色んな場所に行ってみたい」と旅をすること。はたまた、会社のためにコマとなって勤めること、責任を一身に背負って会社を管理すること。社会を俯瞰して投資をすること。全てに手を伸ばしてみたいなと思う。まだまだ、自分は知らないことばかりだ。

 

洗濯の問題と同じように、人は常に「振れ幅」を必要とするのだと思う。金銭豊かな生活をすれば一度貧乏になり、一箇所に定住したかと思えば自由な旅を選択する。振り幅がなければ、人は現在地を確認することができない。

比較することでしか、人は個として存在し得ない。比較しなければ、「わたし」の存在を証明できない。と同時に、それぞれの痛みを知ることで、少しでも理解し合えるのかもしれないなと思う。

 

 

何も言わず、行動する人が僕にとっての希望だ。

 

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日本一周をしていると、よくお年を召した方に話しかけられる。

年齢差があると話しかけやすいという理由もあるのだろうし、お互い境遇が似ている(時間がある)という理由もあるだろう。

旅の話をしていると、「若いうちしかできないしねぇ」という発言を何回も聞くことになるのだけれど、その度に強烈な違和感を覚える。

 

それは、「若いうちしかできない」のではなく、「若いうちのほうが簡単だけど、今の自分にはできないと思った」ということを履き違えているということ。さらには、その固定概念で自身や周囲の首をも締めているのではないかということだった。

ある程度年齢を重ねなければ、辿り着けない境地もあるだろう。特に体にガタがくれば、必然的に若い時よりも意識して「しないこと、捨てること」を選択しなければならないのだろう。でなければ、余生を納得ゆくまま過ごせない。

ただ、それは「若いうちしかできない」という理由には当てはまらない。自身が「自分にはできない」と選択しているだけで、それを「年齢が若い人間しか実現できない」と転嫁するのはおかしい話だ。

 

宇都宮市のとある公園で、お年寄りのグループのなかでワンコたちと戯れていた。自分にとっては、この何気ない時間が楽しい。

そこで旅の話をしていたのだけれど、案の定あちこちから「若いうちしかできないもんねぇ」という発言が多数飛び出した。

 

さらに、「私の時代は難しかった」「今の若い人たちが羨ましい」という発言も出た。その度に違和感を抱いて、「いや、66歳で自転車日本一周を果たした人もいますし、同じような年で日本を何周もしている人もいますよ」と発言した。怪訝な顔をしながらも驚かれたのだけれど、二言目には「若いうちしか~」という会話に戻る。ああ、多分この人達は「若いうちしかできない」ということを、自己暗示しているのだろうなぁと思った。

高校時代の教師に「意識は行動をつくり、 行動は習慣をつくる。 習慣は人格をつくり、 人格は運命をつくる。」ということわざを教えてもらったことがある。言葉の通り、「若いうちはできない(つまり自分には無理だ)」と思っていれば、当然実るもの実らないだろうなぁと思う。

実際に旅に出ている人は、「若いうちしか~」という発言はしない。自身がそうではないということを、証明してしまっているから。「あまり若いうちしか~などという発言は聞きたくないな・・・」と思った自分からすれば、彼らはヒーローだ。

 

 

野宿をしていると、母なる地球に抱かれているような気分になる。

 

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いろは坂を越えてもう少し奥まで進もうと思っていたのだけれど、中禅寺湖があまりにも素敵だったため、湖畔沿いで寝ることにした。

思えば、「日本一周をしたい」と思ったきっかけは、去年の大晦日に実行した琵琶湖一周で野宿をしたことが始まりだった。

外で寝る行為自体好きだったのだけれど、琵琶湖一周で野宿をしたときに強烈な自由を味わった。野宿であれば、家に帰る必要がない。どこでも寝られる。人間世界であらゆることからガチガチに縛られた肉体から魂が抜け出し、夜空に溶け出すようなそんな感覚。

 

日本一周を始めてから、はや五ヶ月。野宿が当たり前となっているけれど、それでも毎晩ワクワクしながら過ごしていることに今更気づいた。

テントを使用せずに夜空を見上げると、ふと生命の母体である地球から抱かれているような、そんな感覚に陥る。

身分の不安定な身。頭では、どんな状態であっても生きられるということは理解している。それでも、謎の不安や焦燥感に追われることも多々ある。自分には足りないことだらけで、欠けていることだってたくさんある。とても弱い人間だ。

 

寝袋に包まりながら夜空を見上げると、すぐ傍に地球の存在を感じる。不安や焦燥感から追われているときは、そんな当たり前のことすら忘れてしまう。目を瞑って無心になって過ごしていると、ふと”とても暖かい何か”に抱かれているような感覚に陥る。どんなことが起きたって大丈夫だ。大丈夫。この心臓の鼓動を感じている限りは。

 

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長い長い、旅の途上で。

 

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