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歩き遍路の魅力って?20歳でお遍路の旅をして思ったこと【四国八十八ヶ所巡礼】

 

2016年5月から7月まで、20歳という年齢で四国歩き遍路旅を実現しました。時には一日中雨が降り続き、時には強烈な日光が降り注ぐなか、比較的長いとされる59日間をかけて四国一周を果たしました。

正直、最初から最後まで弘法大師(空海)や真言宗に対する信仰はなかったし、単純な知識としても司馬遼太郎の『空海の風景』の上下巻を読んだ程度だったんですが、信仰どうこう関係なく自分の思考を深掘りできた旅となりました。

最初こそお遍路の旅を舐めてかかっていたんですが、過酷さに何度も泣きそうになったり挫折しそうになりました。(笑)今回はそんなお遍路の旅を振り返って、あらためて「歩き遍路の魅力」について書いていきたいと思います。

 

歩き遍路の旅は、ひたすら自分の”無駄”を削ぎ落とす旅だ

最初は絶望から始まった旅だった

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歩き遍路の旅に出発する前は、自転車で日本一周の旅をしていました。ちょうど四国エリアへ突入するとなったとき、「せっかくなら歩き遍路をしてみたいな」と好奇心だけで道具や知識を集め、出発することになりました。

20歳の僕にとって、もともとお遍路は縁遠い存在でした。存在は知っていた程度で、なぜ興味が湧いたのか自分でも今だ理解できません。(笑)

身内に仏教を学ぶ人間などいないし、当然弘法大師に関する知識もなかった。人々がなぜお遍路の旅に繰り出すのか、全く理解出来ませんでしたね。

 

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お遍路出発直前は時代小説にハマっていたので、昔の旅風に徒歩で旅をすることに憧れていました。自転車だとちょうどいい移動速度ですが、「いかにも旅をしている」感がなかったんですよね。

逆打ちでお遍路をしようと思っていたので、初めて香川県の大地に降り立ったときは「なんて気持ちいいんだ!」とワクワクしながら歩きはじめましたが、そんな気持ちも数日で吹き飛んでしまいました。

だってですよ、これから1200kmもの距離を徒歩で移動しようというのに、一日20km程度しか進めないんですよ。

 

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これから梅雨に突入する時期だったので、結願(ゴール)が遅くなりそうだし、お寺は山の頂上にあることが多いから体力も使うし足も痛くなる。極め付きはバックパックが重すぎるんですよね。15kgもあるバッグなんてこれまで背負ったことがないし・・・。

地図を見ながら「とりあえず100kmぐらいは進んだけど、この旅は本当に終わるのだろうか?歩き遍路という選択自体が間違ったのか?」と早くも絶望したのを色濃く覚えています。(笑)

予算もあまり用意していないから途中で辞退するのも厳しそうだし、宿にも泊まれないし、質素な食事しかできない。非常に厳しい船出となってしまいました。

 

山を登り、移動するたびに無駄が削ぎ落とされてゆく

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いきなり絶望から始まったお遍路旅でしたが、ある程度進むと気持ちに余裕が出始めました。

遅くとも確実に前には進めているし、朝にお経を唱えると非常に気持ちがいいし、野宿旅だから自動的に生活習慣も改善されて健康的になるので、結願するまでは倒れずに済みそうだなと。

中盤には梅雨に突入して、精神的にやられることもたくさんありました。雨に打たれるのはまだいいとして、靴が浸水して放っておくと汚臭を放ちはじめるので、ロクにスーパーにも近づけなくなるん ですよ・・・。

 

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山に登るたび、一歩一歩前に進むたびに無駄な思考が削ぎ落とされ、一方でたくさんのアイデアが降ってきました。

「旅を終えたらこれをするぞ」「これをすれば世の中が面白くなるのではないか?ではこの方法でチャレンジすれば目標を達成できるかな?」と抽象的な理念や具体的な行動が次々と湧いてきたので、途中でメモを買って思い浮かぶたびに書きなぐったんですよね。

お遍路の旅は、ぶっちゃけ歩く以外に全くやることがないんです。歩きながらひたすら内省することになります。道中過酷な場所ばかりなので、内省して今の自分の立ち位置をハッキリさせないと前に進めないんです。

 

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嫌だといっても、途中でリタイアするわけにはいきません。

今回は珍しく「途中でやめよう」とは一回も思わなかったんですが、進むだけでも苦痛なときもあったし、何度も「今日は休もうかなぁ」と思ったんですよ。

嫌なことを無理にしても意味がないと旅出発以前から思ってましたし、その考えは今でも変わりません。それでも、歩くしか自分に出来ることがないから着実に進んでいく。進むしかないんです。

 

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「嫌なことでも、続けると自分のためになるんです!」とか毛頭言うつもりはありません。嫌なことなんて無理にする必要は全くないし、皆が嫌だと思う事柄があればさっさと社会から排除すべきだと思ってます。

何度も足を止めて、最後の方には肉体的・精神的な疲労がピークに達して、休憩所でいきなり3時間爆睡するなんてこともやらかしました。(笑)

そんな自分でも、足を引きずりながらゴールしました。お遍路の旅自体は自分で「行きたい!」と思っていたから、無理やりにでもゴール出来たんですよね。

 

お遍路は貴重な人生の棚卸しの機会になる

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高知県を歩いているときに、60代で歩き遍路をされているおじさんに出会ったんですよね。その年で1200kmもの距離を歩くって、ちょっと考えられないですよね。(笑)

その方の雰囲気から「この人と話をしたら面白そうだ」と思って2時間ぐらいお話していたんですが、定年退職されてからお遍路の旅に出発したそうです。逆に40代50代ぐらいの方って見かけないんですが、時間がない事が多いから当たり前といえば当たり前ですね。

おじさんは某大企業で重役をされていたそうですが、「歩くたびに昔の自分が犯した失態や過去の苦労を思い浮かべて、棚卸しする機会になっている」とおっしゃってました。「企業間同士の競争は相手を蹴落とすってことだから、今思えば本当に酷いことをした」と。

 

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逆に若者の僕としては、お遍路はこれまでの人生を振り返るのではなくて、今後の未来の行動を考えるめちゃめちゃいい機会になってたんですよ。めっちゃ対照的やん、と。

途中で何度か60代ぐらいの方とお会いする機会があったんですが、決まって何十年も企業に勤めてらっしゃる方ばかりだったんですよね。これまで全然時間が取れなかったけれど、ようやく定年になって時間が出来たからお遍路の旅に出ていると。

恐らくこれまで1ヶ月や2ヶ月もの長期間、自分のことを振り返るような機会なんてなかったでしょう。懺悔がどうとか関係なく、これってめちゃめちゃいい機会になってますよね。これまでそんな機会さえなかったわけだから。

 

人間はただ無力な存在だ

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お遍路の旅は毎日毎日、炎天下のなか15kgのバックパックを背負い、わざわざ原始的な手段である「徒歩」を選んで進んでいきます。

梅雨の期間であっても、一々休んでいては一向に終わらないので雨を浴びながら進んでいました。

何度もバイク・車に追い越されるし、お寺を回りながらだと1日40km進むのが限界だし、とにかくスピードが遅すぎる!不毛で不毛で仕方ないけれど、最初に「絶対徒歩で進む!」と決めていたので、それ以外の手段は断固として使いませんでした。

 

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そんな旅を終えて、多くの人は「歩くのもいいね〜」「人間はやっぱり自分の体を使ってこそだよ」と言うのかもしれません。

実際に1200km歩いてみて思ったのは、「人間の身体機能なんてクソ!スペック低すぎ!最初に車を大衆に広めたフォードは神!産業革命は神!」でした。(笑)

昔の僕は、車が非常に縁遠い存在だったので「排気ガスを減らすために台数を半分に減らせ!自転車は神!みんな人力移動しろ!」とか言ってましたが、お遍路の旅を終えたあとは口が裂けてもそんなことは言えなくなりました。(笑)

 

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人間の文化や伝統は、最初に新しいことを始めた人間が亡くなった瞬間から変化する性質を持っているものだと思っています。後継者は当初の人間に100%なりきることが出来ないし、当初変化を起こそうと思った理由を完全には理解できないからです。

僕たちは、アメリカで最初に大衆に車を広めたヘンリー・フォードの気持ちも、車の存在を待ちわびていた人たちの気持ちも完全に理解することは出来ません。現代には車が溢れてますから。

お遍路の旅を通して、「人間は無力な存在であること」「身体機能を拡張するための機械は絶対的に必要なこと」を理解せざるを得ませんでした。全部切実な事情があって実現し、今の僕たちはその恩恵を受けている。だから、「車に乗るな!」なんて口が裂けても言えなくなりましたね。(笑)

 

自分が車を作るわけではないし、だからどうということでもないのだけど、人間の身体拡張を切実に望んできた人の気持ちに少しでも近づけた気がして、これまでの歴史と自分の立ち位置が繋がった感じがして、嬉しかったです。

 

おわりに

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自分の好きなように書きなぐった結果、弘法大師や真言宗にはほとんど言及しないまま終わってしまいました。(笑)冒頭で述べたとおり、信仰心も何もないですから。

ただ途中で会ったおっちゃんも言ってましたが、「別に信仰心がなくても、お遍路に行きたいと思ったらそれでいい」のだと思います。ただし歩き遍路の旅はかなり厳しかったので、積極的にオススメはしません。(笑)

が、結果的にひたすら内省出来たから良かったし、今後切羽詰まったときや世界の見方・視点を変えたいと思った時に再び歩いて回りたいと思いましたね。精神的・思考的にかなり充実した旅でしたから。

 

お遍路の旅を通して、少し世界の見方や自分の考え方が変わった気がします。これまで滞っていた血流がようやく少しずつ流れ出した気がして、過酷だったけれどあらためて旅に出発できて、良かったと思いました。

四国遍路の旅でも素敵な出会いがたくさんあったんですが、今回はこの辺りにしておきます。

何かこの記事を通して伝えられることがあったなら、僕としては本望です。それでは!

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