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「三方良し」の原点、近江八幡市立資料館へゆく。【歴史民俗資料館・旧西川家住宅・旧伴家住宅】

 

本日は、以前琵琶湖一周の旅をした時から「ずっと行きたい」と思っていた「三方良し」の原点、近江商人の聖地へ参ります!

近江商人と呼ばれたうちの、いわゆる「八幡商人」に関する資料が展示してある近江八幡市立資料館歴史民俗資料館旧西川家住宅旧伴家住宅を巡ります。やっほい!

 

なぜ近江商人に興味が湧いたのか

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出典:http://nylongirls.jp/archives/2979835.html

 

そもそも、皆さんの「近江商人」に関するイメージってどんな感じでしょうか?優秀な商人?それとも、よく言われる「近江泥棒・伊勢乞食」のイメージでしょうか。

始めて近江商人を知ったのは確かマーケティングに関する本を読んでいたとき、「三方良し」の考え方と一緒に近江商人が紹介されていました。

そもそも三方良しとは「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の3つの良しのことで、売り手と買い手との間で関係性を構築するだけでなく、世間的にも良い行いをするのがよい商売である、という考え方です。

この三方良しを近江商人は商売の心得としていたそうで、初めて見た時は「江戸時代から、こんな本質を突いた考え方をしている人がいたのか!!!!」と目が完全に飛び出てしまいました。

 

というのも、確か「三方良し」を知ったのがCRMの基礎を紹介する本だったんですよね。

CRMは「カスタマーリレーションシップマネジメント」の略、つまり「顧客関係管理」の方法論を解いた本で、単発的な利益を追求するだけではなく、一生涯に渡って顧客の価値(LTV)を見積もった上で永続的な関係を築くことを目的に開発された理論です。

その根幹となる理念はディズニーや、かのリッツカールトンホテルでも受け継がれており、具体的には主にデータベースで顧客の購買履歴を管理しながら顧客の価値を見極め、一時的には損をするように見えるサービスをしてでも、然るべき待遇を行うことを指します。

 

そもそも「顧客とのつながり(リレーションシップ)をいかに築くか」という点に絶大的な関心を持っていた自分にとって、そのCRMの根幹的な理念は考えるだけで涙が出るほど「最高の考え方じゃねーかマジで!!!」と思っていたのですが、さらにそのCRMの原点に近江商人がいるとなると、もうこれは人生を賭してでも行かなければならない、という使命感に燃えていたんですね。

実際に訪れた資料館の説明をする前にすでに文字数が1000字を越えてしまいましたが、この程度では全く足りないほどの思いを抱いて近江商人の資料館に訪れたということだけ説明できればOKです。

では、いってみましょー!

 

近江八幡市立資料館へ

さて、前日から「近江商人の資料館に明日ゆく」という実感の湧かぬまま過ごしていたわけですが、いよいよ今日資料館へ行くことになりました。

ちなみに近江商人はひとくくりにまとめて説明されることが多いですが、実際には近江を拠点にして「八幡商人」「など地域ごとに様々な商人がおり、それぞれの商家で事業の種類や時代が異なっているということです。

今回はその中でも最も歴史の古い「八幡商人」に関する展示がしてある「近江八幡市立資料館」へと訪れました。

 

 

この近江八幡市立資料館は元々は警察署として使われたいたらしく、館内の所々にその痕跡が見られるとのこと。へー。

ちなみに周囲には、近江商人に関係する施設として「近江八幡市立資料館」の他に「歴史民俗資料館」「旧西川家住宅」「旧伴家住宅」があります。

それぞれチケットを購入しなければ中には入れませんが、一括で大人900円で共通券を購入することができます。とりあえず全部入ってみたいので、そちらの券を購入。

 

まず近江八幡市立資料館を回ってゆきます。一回には当時商売に利用されたミシンや御座などが展示されていた。

 

 

炭火アイロン!直接炙って使うならこんなコンパクトでいいんだー。それにしても何時の時代に利用されてたんだよ。

 

 

現代の「レジ」に相当する、昔使用されていた「レジスター」なるもの。

これはすごい!昔はこれだけ巨大でタイプライターみたいな見た目だったんだな。

 

 

当時使用されていた看板たち。すごい・・・全て木製だ。

上述した「CRM」の他に「ブランド管理」も大好物で色んな書籍を読み漁っていましたが、この当時にはすでにブランドそのものが確率されていたんですよね。

それを理論として扱い実際的に管理するようになったのはもう少し後の時代のことなんですけどね。

 

 

そして、こちらは醤油絞り機!以前長野県で醤油絞り体験をさせてもらいましたが、現在のものとは似て非なる形状だな。

残念ながら展示物なので触れることさえできませんが、ぜひレプリカでもいいから1つぐらい触る体験をさせてもらいたいもの・・・。

 

 

資料館の2Fへとゆく。

 

 

うち一部屋には、当時信長が安土城の城下町に住む振興商人に出した「安土山下町中掟書」に関する資料が展示されていた。

これは、かの「楽市楽座」等の経済政策に関する掟書で、税制や制限を撤廃し規制緩和を行いました。この政策がのちに近江商人が全国で活躍する重要なキッカケとなったようです。

規制緩和で産業が爆発的に発展するのはいつの時代も同じなのだー!

 

 

他の展示は特に興味を惹かれなかったので、再び資料館の一階へ。この歩くたび床が軋むのがまたいい。

この周辺には当時の古民家をリノベーションしたカフェが立ち並んでいるそうだけど、ちょっとここで住みたいな・・・と思った。

 

 

資料館の裏口から出て、歴史民俗資料館へと入ってゆく。

途中、中庭のような場所に野外展示のコーナーがある。

 

 

昔、農業で使用されていたと思われる数々の品々。

 

 

この辺で日本一周したら、色んな意味でとても楽しそうだ。

 

歴史民俗資料館

 

さて、こちらも見学していきますよー。

 

 

昔の釜炊き。以前長野県で釜炊きを利用している民家を尋ねたことがあるけれど、ここまで大きなものではなかった。これは商家のものだから大きいのかな?

 

 

当時生活に使われていたらしい品々。

木製の冷蔵庫の存在には驚いたけど、他は特に目を見張るものはないなぁ。

 

 

畳へと上がる。が、この時点で近江商人に関する目を見張るような展示物はない。

 

 

と思ったらあったー!「金銀受払帳」!そうそう、こういうのを見たかったんだよー。

さすが全て紙に記入していただけあって、かなりズッシリしたボリュームだ。出先で商売を行っていたときは、この受払帳を所持して商売に精を出していたのか・・・?

ちなみに、富山の薬売りは顧客の特徴や取引履歴を台帳に記録し、取引の際その情報を参照しながら顧客に対応したというまさに上述したCRMの原型のようなことをやってのけているのですが、近江商人はそのような先進的な取り組みはなかったのかな。

 

 

その他、取り引きの際利用したと思われる集金袋、財布、銭差し、釣り銭入れなど。右端の「銭枡」ってなんだろう。

 

 

「この印籠が見えぬかー!!!」

 

 

行商人だった近江商人は、方位磁石が必須だったんだろうなぁ。もし自分が近江商人だったら、未知なる機会と日本の発展のために蝦夷地(北海道)に飛んで行くだろう。

実際に函館近くにある松前町で積極的に取り引きをして、カニの缶詰を作ってたらしいし。(当時としては画期的だったらしい)

 

 

これはトラベルグッズだと思うんだけど、枕にしたら位置が高すぎる・・・何か他に用途があるのか!?

さて、歴史民俗資料館はこれで大方回ったので、次の場所へ参りましょう。

 

旧西川家住宅

 

近江八幡市立資料館、歴史民俗資料館の次にやってきたのは「旧西川家住宅」です。

この場所は八幡商人として江戸時代から活躍した「近江商人西川利右衛門」という方の邸宅で、蚊帳や畳を販売して財を成したんだとか。

 

西川利右衛門は屋号を大文字屋と称し、江戸・京都・大阪に店舗を構え、蚊帳・畳表などの商いで財を成した。西川家は初代から11代まで約300年にわたり活躍したが、昭和5年に子孫が途絶え、土地と建物は市に寄贈された。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/旧西川家住宅

 

 

代々、この西川家で受け継がれてきた家訓である「先義後利栄」「好富施其徳」。

「義を先にし、利を後にすれば栄え、富を好しとし、其の徳を施せ」という。つまり真っ先に利益を得ようとするのではなく、「義」を優先して取り引きをすれば必ずあとで利益はついてくる。であっているのかな。

利益だけ貪ってサービスを犠牲にし、観光客から搾取しようとする店の人たちには1000回聞かせたい素晴らしい家訓だわ←

 

 

西川家で取り引きされていたであろう、蚊帳が写真右下に写っている。これで莫大な財を成したのか・・・素晴らしい。

ちなみにこの2つの展示でお腹いっぱいなレベルで嬉しかったのだけど、他の展示は近江商人に特別関係するでもなく、関心がなかったのでスルーした。

 

旧伴家住宅

 

さて、本日最後の「旧伴家住宅」へとゆくことにする。

 

伴庄右衛門は江戸初期に活躍した八幡商人で屋号を扇屋といいます。寛永年間に東京日本橋に出店し、麻布・畳表・蚊帳を商いました。5代目の伴蒿蹊は18歳で家督を継ぎ、大坂淡路2丁目に出店。学問にも興味を持ち、本居宣長、上田秋成、与謝蕪村らと親交のある国学者でもありました。 以後も、伴家は繁栄を誇りましたが、明治維新等の激動期に逆らえず明治20年に終焉しました。

出典:http://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/15218

 

この場所は他の邸宅と比べても非常に立派で、中の資料によれば150人ほどが麻布・畳表・蚊帳を制作するために労働していたのだという。

 

 

旧伴家住宅は当時としてはかなり珍しい3階建てで、幕府により3階建てが禁止されていた時代にも関わらず、維持できていたのだとか。それほど影響力が強かったという証拠だね。

 

 

ただ残念ながら、当日は「雛祭りなんちゃら」という企画をやっていて、資料館・それぞれ2住宅ともに雛祭り人形でうめつくされており、特に旧伴家住宅に至ってはほとんど何も見るものがなかった(-_-)

というわけで、いまいち消化不良感を残しながら近江商人を訪ねる旅が終わってしまったのでした。

まぁこれらの場所は近江商人だけを取り上げて紹介しているわけでもないし、近江八幡市から東近江市までいけば「東近江市近江商人博物館」なるものもあるので、そちらに訪れたほうが良さそう!(なんと2015年7月〜2016年4月までリニューアル休館してた・・・絶対行きたかったのに・・・。)

 

おわりに

帰りに、近江八幡名物である「つぶら餅」をいただく。

 

 

これは本当に美味しい!ぜひ、昔のように竹に巻いた状態で腰にぶら下げて持ち運んでみたいものだ。

今回の旅でより一層近江商人について興味が湧いたけど、やっぱり書籍を読むのが一番学べるし面白いな!とあらためて思ったのでした。

それでは!

 

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