どうも、絶賛自転車日本一周中のよねすけ(@yonesukez)です。
昨日は体調が悪いながらも、紀伊半島のアップダウンを越えて白浜町から串本町までやってきた。ようやく念願のキャンプ場に泊まれました。
今日は潮岬周辺に停滞しつつ、朝日を拝んだあと本州最南端・潮岬へと赴きました。途中寄った紀伊大島のアップダウンがキツすぎて死亡。
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朝日を拝める生活。
おはよう、諸君。ただいまの時間は6時半。無料キャンプ場・潮岬キャンプ場にて、朝日を拝んでいる。
テント内で寝ていると、同じキャンプ場で寝ていたと思われる女の人の「おー!」という声が聞こえたため、夢の中で「あ、朝日だな」と思って起床した。直後にアラームが鳴った。
さすが、本州最南端・潮岬。朝日が美しい。他のキャンプ客もぞろぞろとテントから這い出し、朝日を拝んでいた。
1日の始まりを感じさせる朝日。生物が光を感じ、動き出す源となる朝日。
以前の記事にも書いたように、夕日の方が生に対する根源的な悲しさみたいなものを直に感じられて好きなのだけど、朝日もまた生命の誕生を感じさせられるから好き。
たて。朝日を拝みながら、純粋に毎日朝日と夕日が拝められる生活って幸せだなと思ったし、テント生活でなくともよいからこの習慣だけは続けたいと思った。
毎日流れる時間を止めることは出来ないから、せめて時の流れを感じるために朝日と夕日は毎日拝みたい。別に屋内中心の生活でもよいから、朝日と夕日だけは拝みたいね。
本州最南端とはいっても、まだ2月。さすがに寒いので、テントに戻る。ペグを打ったほうがテントらしい造形になっていいね。
今日はこの周辺を回りながら停滞する予定なので、さほど急いでいない。まずは朝ごはんを食べないと。
テントの中でご飯を食べ、コーヒーを飲むためにお湯を沸かしていると、「米澤くん?」という声が聞こえてきた。「へ?」と外を見ると、一人のおじさんが。
なんとブログを見て、差し入れを持ってきてくれました!ありがとうございます!
三重県でみかん農家をされている方で、収穫したものを草津の道の駅で販売されているそうなんだけれど、頻繁に日本一周チャリダーを見かけるために、機会があれば自宅の方に呼ばれているらしい。
「もし興味があれば、畑に来てみる?」と言われたので、二つ返事で「はい!」と答えました。こんな面白そうな機会はないもんね。
将来農家希望ではないですが、その土地の文化とか味というのを知っておきたい。ただ経済活動をして商品を獲得するのではなく、その土地に暮らす人にもとへお邪魔し、その人の口から話を聞きながら、その土地自体を感じたいと思っています。ありがたいお話です。
キャンプ場でゆっくりしながらコーヒータイム。最高です。
旅をしていて最近思うのは、かなり忙しい生活を送っていた人ほど、こういう旅を楽しめるんじゃないかと。自分も当初はその状態で自由を謳歌していたけど、最近はむしろ暇な日が多くて、当初していた旅とはかなり方向性が変わってきた。
もちろんそれはそれで結構なのだけど、純粋に旅を楽しむにはその方がいいなと思った。最近はテーマを設定して、一つの事業みたく旅しながら活動するほうが楽しいし。
潮岬キャンプ場。奥のほうをよく見ると、まだテントを張っている人がちらほら。自分も時間はありそうだけど、暇があるなら図書館へ行きたいし、さっさとレッツゴー。
本州最南端・潮岬!
この潮岬キャンプ場のすぐそばには、本州最南端のモニュメントがある。すぐにそちらへ。
いえい!本州最南端までやってきたぞー!それ以上でもそれ以下でもないような代物ですが、旅人というのは「端っこ」が大好きな生き物なのです。
べつのやつ。本州最西端の毘沙ノ鼻、本土最南端の佐多岬も楽しみですね。日本列島の最南端・最西端は予算の都合で訪れられるかわからず。
潮岬から見る景色。地平線の先へ行ってみたいな。海外への旅は確実に行くけれど、手段はバックパッカーになるか、自転車になるかはわからないね。さて、次の場所へ。
紀伊大島のアップダウン
続いてやってきたのは、紀伊大島。ちょうど潮岬の半島部分を東に向かうと、陸続きに存在する大きめの島。
地図上で見ると、この島ね。いかにもアップダウンが激しそうだけど、好奇心だけで行ってみることに。
で、実際に走ってみたのだけど・・・島に入ると一気に海抜5mくらいのところから110mぐらいまで登るし、登った後もアップダウンが続くしでなかなか凶悪な場所。
樫野埼灯台。この場所はトルコ友好の場所であり、過去に「軍艦エルトゥールル号」が沖合で座礁した時に、島民が自らの食い扶持すら危うい状態にも関わらず、懸命に救助し一部の隊員が助かったという伝説的な場所。
エルトゥールル号遭難事件(エルトゥールルごうそうなんじけん)とは、1890年(明治23年)9月16日夜半、オスマン帝国(その一部は現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル(Ertuğrul Fırkateyni)が、現在の和歌山県串本町沖にある、紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し500名以上の犠牲者を出した事件。
現在、和歌山県串本町とトルコのヤカケント町、メルスィン市は姉妹都市である。樫野崎灯台そばには、エルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が建っており、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭が5年ごとに行われている。
そのため、周囲にはトルコアイスやトルコの民芸品を販売しているお店も。トルコ人の店主はテンションが高く、「year!おはよう!」ときたので「おはようー」と返しておいた。
オスマン帝国初代大統領の騎馬像も。普段はこのような定番の観光地に訪れることは少ないんですが、この場所は素敵だなと。
誰だって困っている人がいたら助けると思うのだけど、当時台風が来ていて漁ができず、島民は自分たちの食料すらままならない状態だったらしい。その状態でもなお食料を差し出し、命を救った。これ、日本人のスピリットが根底に流れていて、この精神こそ受け継ぐべき財産だよねと思った。
樫野埼灯台下に流れ着いた生存者の内、約10名が数十メートルの断崖を這い登って灯台にたどりついた。灯台守は応急手当を行なったが、お互いの言葉が通じず、国際信号旗を使用して、遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦である事を知った[1]。
通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この時、台風により出漁できず、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、生存者たちの救護に努めた。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還することが出来た。その一方で残る587名は、死亡または行方不明となり、大惨事となった。遭難の翌朝、事件は樫野の区長から大島村長の沖周(おきしゅう)に伝えられた。
灯台へ登る。景色が素晴らしすぎる!周辺には東屋付きのベンチとトイレもあるので、この場所で泊まりたいなと思った。旅人らしい発想。
帰りはひいこらひいこら言いながら坂を上ったのだけど、やっぱり小さい島でこのアップダウンは鬼畜だと思う。早々に死亡。
峠越えの方がよほどキツイが、自転車で二度と来たくない場所ランキングTOP3に入るかもしれん。といった場所でした。
旅人防衛戦が張られている・・・ッ!
さて、紀伊大島に行っていたらお昼を過ぎてしまったけど、この後特に移動するわけでもないので、ぶらっと回ってから図書館に行くことに。
串本町図書館。見た目の通り中はボロっちく古風な感じで、スペースもあまり広くない。ページが焼けて、いい味を出している本が多かった印象がある。中はとても静かで、下校帰りの小学生がたまに訪れる程度。
小学校が隣接していることもあって、トイレへ向かう道は昔の学校そのもの。歩いていると、盛大に床の木が軋む。それがまた味を出していていい。蔵書数は都市部の図書館の比ではないが、読みたい小説はいっぱいあったから、可能なら1ヶ月ぐらい入り浸りたいなと思った。(笑)
最近旅をするほどに学びたい欲求が強くなってくる。学べば学ぶほど、自分が無知なことが露呈してしまう。まずそのことを認めて初めて、次のステップへと進めるんだろうけど。もっと学びたい。学びたいことが多すぎる。
図書館が閉館になったので、本日の寝床候補である「道の駅くしもと橋杭岩」へ。道の駅の前に、独特の形状をしている「橋杭岩」がある。和歌山朝日・夕日百選の場所。
ちょうど雨がポツリと降り出したので、ちょうどいいやと思ってしばし休憩。屋根もあっていい感じだし、過去旅人も何人か泊まっていたようだ。
いい寝床と、思ったのだが・・・。
「この場所で「宿泊・自炊」を禁止します。自転車・リヤカー・オートバイ等の持ち込みも禁止します。
・・・なにぃ!?旅人防衛線が張られているだとォ!?
説明しよう。旅人防衛線とは、主に野宿系旅人による道の駅内での無銭宿泊、及び自炊・洗髪・洗濯・テント泊による汚染を避けるために各道の駅側が独自に編み出した防衛策で、北海道を中心に見られる。野宿族は車中泊族と比較して客単価も圧倒的に低いため、忌み嫌われている。
あー、こういうケースあるよね。よく見るわー。北海道とかで見るわー。あー。まじあるあるあ・・・、、、
ああああああああああああああああ!!!!!!!!!!
今日こそは!!!!真っ暗になる前に食事か野宿の準備ができると思ったのに。まぁこちらは利用させてもらっている側だから文句言えないけど。
8kmほど走った場所に別の道の駅があるそうなので、そちらへ移動する。
というわけで、あっという間にやってきました。道の駅虫喰岩。
かなり綺麗な道の駅にも関わらず、時期の問題だろうけど、周囲には誰もいない。車中泊客が一人もおらず、たまにトイレ休憩で訪れる人はいれど、基本は自分だけ。
とりあえず飯を食べて、洗濯して現在を迎える。道の駅の電気は22時で消灯し、照明はトイレ部分と、自動販売機のみ。周囲は自分以外誰もいないが、動物の気配はする。
かなり快適だ。ここには自分以外だれもいない。少し不気味だが、それでもこの自由な環境は他には変えがたいもの。とりあえずゆっくり寝ようと思う。おやすみなさい。