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【日本一周】旅先で人の良心に触れると、「まだこの世界も捨てたものではない」と思える。今日から日本一周再開!

 

昨日も、秋田で声をかけてもらったおばちゃんの家にお世話になりながら、

耕作放棄地の整地作業に挑戦。

やっぱり、農作業は楽しい!ずっと土を触っていたい!

 

今日は、いよいよ日本一周を再開して、前へ進んでいく日。

再び北海道へ向けて、進んでいきます。

日本一周自転車旅、35日目のスタート!

 

昨日の記事:耕作放棄地を整地してみた!リアルで草ブロックが出現。農作業が楽しすぎる。【34日目】

 

 

いよいよ旅再開の日

 

昨日は夜遅くまでお世話になっているおばちゃんと議論を交わし、

出発の準備やブログ更新をしていたら、朝の5時になってしまう。笑

そのままグッスリ寝ていたら、10時半になってしまった。

 

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今日で、この場所ともおさらば。

感謝しながら、準備を始める。

ここがなかったら、峠越えの疲労が取れてなかっただろうしな。

 

荷物をまとめて、支度完了。

 

これだけ旅先で色んな方に恩をもらっていれば、

世界に絶望していても「まだ捨てたもんじゃないな」と思えるんじゃなかろうか。

恩を期待した瞬間に、瞬く間に壊れてしまう脆い世界ではあるけども。

 

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最後に「スマホの色々な使い方を教えてほしい」とのことだったので、レクチャー。

実際、煩わしい操作の必要性が多すぎるのよね。

簡単に操作できることを危険と思うか、便利と思うか・・・。

 

最後にも、たくさんの食品や物を持たせてもらい、旅立ちました。

何からなにまで・・・本当に感謝!

いただいた恩を、次の旅人に返していこう。

 

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さて、北海道へ向けて行ってきまーす!

それにしても、物が多すぎて後輪の負荷がすさまじい件w

写真だけ見ると、荷物のバランスもあからさまにおかしい。

 

 

秋田市街巡り

 

まず目指したのは、秋田駅。

主要都市部の駅周辺を見るだけで、その県の機能性を垣間見れる。

あ・・・あきたびじんも探さないと。

 

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秋田駅!

街の規模に対して、思ったよりも小さい。

秋田市街は、コンパクトだけど詰まっているイメージ。

 

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駅前タクシー・バス乗り場。

バス乗り場が、日本風でおしゃれ。

ふむ、たくさん人が歩いているけど。秋田美人はいずこ・・・!?

 

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秋田駅前スタバ。

最近は全く利用していませんな。

まだ明るいので、秋田市街を散策してみます。

 

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秋田県庁から続くメインストリート。

車線数から見て、そこそこの規模の街だということが伺いしれる。

ただ、面積は狭い。少し進むと、すぐ田舎。

 

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すぐ近くの休憩所。秋田城跡?違うか。

秋田は建造物の景観が綺麗で、掃除や自転車放置問題解決に積極的なイメージ。

そのおかげか、街中はすごく綺麗。

 

街の探検を終えたところで、次のスポットへと進む。

あきたびじんは・・・存在するのか!?

よくわからなかった。

 

美人の基準値が他とは違う・・・と聞いたのだけど。

あきたびじん、どこかで出会えたかしら。

 

 

男鹿市へ

 

では次なるスポット、青森県へ向かおう。

さらば、秋田市!

国道7号線から、一気に北上していく。

 

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まず、トイレ休憩と水補給のため、道の駅秋田港へ。

中の様子には目もくれず、用事を済ます。

とにかく、先へ行きたくてウズウズしているんだ!

 

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秋田港。

海上保安庁の船と、風力発電施設。

今日はあまり羽が回転していない。風が穏やか。

 

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道の駅の目の前にあったお店。

「港の魚屋」

コンテナで販売しているのかな?地域直売食品に妙に惹かれる。

 

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iwatani大先生の工場も。

iwataniのカセットガスバーナーは、旅人なら誰でも使用してる。

軽く土下座する程度には必要な商品。なくては生きていけないね!

 

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海岸沿いを走っていると、砂浜でサーフィンしている人たちを発見。

この場所、テトラポットがあるから、波乗りが難しそう。

夏場になれば、海に入り放題。1人で1日、遊びほうけていそうだ。

 

3日間も人様の家にお世話になって停滞していたから、走るのが気持ちよくて仕方がない。

止まっていると、進みたくなる。進んでいると、止まりたくなる。

常に反対側を求めるのが、人間。

 

常に相対し、表と裏を行き来することで、本当の自己に立ち返る。

人間は、放っておいても常に刺激を求める生き物。

自分の好きなことをやっていれば、勝手にそうなるのではないかと。

 

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国道を走った先には、男鹿市の看板。

ここを直進すれば、男鹿半島へと突入します!

今回は、別に回りたいところがあるから、スルーします。

 

 

ゲリラ豪雨の襲来

 

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男鹿半島といえば、なまはげ。

早速、迎え入れてくれます。

このタイミングで、雨が降ってくる。嫌な降り方だ。それでも、先へ進んでみることにした。

 

突然大粒の雨に変化し、あっという間にバケツをひっくり返したような降水量に。

ひえー!!!全身びしょびしょ!早速、天然のシャワーを浴びたわ。

おかげで、再び体がきれいになった。楽しすぎるw

 

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高架下で雨宿り。なんという降雨量だ・・・!

30分ほどしばし待っていると、止んできた。

雨だけならいいけど、雷もゴロゴロ鳴ってる。勘弁してほしいなぁ。

 

今日も早めに、寝られる場所を見つけないと。

 

 

大潟村の謎

 

雨が止んだので、いよいよ大潟村へと進みます。

なぜ、大潟村に来られるのを楽しみにしていたか。

それは、秋田県で大潟村だけが星のように光を放ち、全国各地から人を集めているから。

 

当初、大規模な干潟だった八郎潟を稲作のために埋め立てて、できたのが大潟村。

秋田県は人口減少率全国ワースト1位だというのに、この場所だけ人口が増加している。

また、各地で後継者不足が悩まれるなか、ここでは就農希望者が多いんだとか。

 

以上の謎を解明・・・はできないかもしれないけど、なんらかのヒントを得られればと。

ここに、農業で未来の展望を明るくするような、ヒントが隠されているはず。

なんとしてでも、宝箱を発見したい。

 

大潟村の歴史

北側の米代川と南側の雄物川からそれぞれ土砂堆積により砂州が延び、離島であった寒風山に達して陸繋島の男鹿半島となった際、海跡湖としてできたのが八郎潟である。面積は琵琶湖に次いで日本で2番目の広さだった。
戦後、食糧増産を目的として干拓工事が行われ、干拓の先進国であるオランダの技術協力を受け、20年の歳月と約852億円の費用を投じて約17,000haの干拓地が造成された。工事は1957年(昭和32年)に着工して、1967年(昭和42年)から入植を開始した。全体の事業は1977年(昭和52年)に竣工した。
干拓工事によってできあがった土地に全国から公募された入植者が入植し、1964年(昭和39年)9月15日に「干拓式」と題する式典を吉武恵市自治大臣、赤城宗徳農林大臣、秋田県知事らを招いて開催したのち、10月1日に秋田県で73番目(当時)の自治体として大潟村が発足した。

(wikiより)

 

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これまで都市空間が広がっていた場所も、大潟村に突入した瞬間、大規模な田園地帯に。

す、すごい・・・。地平線の先まで広がっているんじゃないだろうか。

北海道のように完全に平地だから、余計に広大に感じる。

 

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道に散々迷った挙句、道の駅の休憩所で寝ることに。

なんと、途中で東北で旅をしているというお兄ちゃんと遭遇し、旅の話を。

24時間解放されているスペースがあったので、そこで寝ることにしました。

 

寝ようと思っていたところ、この辺りでは有名な会社に勤められている方が来て、

話しかけてくれたので、「これだ!」と思って大潟村について色々聞いてみた。

以下、どこまで書いていいかわからないけど、メモ。

 

もともと知っていたとおり、全国から就農希望者が集まっているんだとか。

土地の売買は世襲制のみとなっているらしく、貸与もしくは農業団体に勤める以外、

農地を買う方法はないんだとか。どこでも、土地が余りまくる理由。

 

大潟村の稲作から得ている利益は非常に多く、1次産業に従事している人でも、

年収が一般に比べて相当多いという。具体的な金額を聞いたけど、載せないでおく。

それだけ収益化の仕組みができているから、就農希望者が多いと。

 

田舎というと監視社会というイメージが強いけど、全国から人が集まっているから、

それだけ思考の多様性が認められているという。だから、陰湿ないじめが少ない。

地域の団結性を保ちつつ、都会の多様性も内包している。これまた稀有な場所。

 

年収額、人口減少率ともに秋田県のなかでは奇異な数字を誇る大潟村ですが、

過去の減反政策(※)以降、政府と地元住民間でゴタゴタになって、

自殺した人間も多数いたという。

 

八郎潟埋め立て事業自体が政府によって進められていたから、

率先して減反の対象になってしまった。

 

大潟村と減反政策

1970年(昭和45年)からの減反政策により、全財産を処分することを条件に入植した農民の中には自殺者も出現して、離農も相次ぎ、また、残留して非正規流通米を生産し続ける農家も居続ける。2009年(平成21年)の民主党への政権交代後は、米粉のかたちでの生産を許容してはいるが、日本の減反政策の犠牲になったモデル地区であり続けている。

(wikiより)

 

暗い過去も持つ大潟村ではありますが、いずれにせよ、特異な存在であることには間違いない。

八郎潟自体魅力的な存在なので、明日はじっくり大潟村を満喫したいと思います。

先へ進みたいところだけど、ここは見ておかないと絶対損だしね。

 

では、クッソ眠いので、ここらで寝ることにします。

おやすみなさい!

 


 

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