どうも、絶賛自転車日本一周中のよねすけ(@yonesukez)です。
昨日は三重県の伊勢へ向けてひたすら走り、アップダウンに翻弄されながらも先へ先へと進みました。
今日は伊勢神宮の別宮であり、本宮より格上という噂もある「伊雑宮」へと参ります!そして、旅の途中で「古老」に出会う。
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旅は次の段階へ
おはよう、諸君。今朝は南伊勢町のとある公園にて6時半頃起床。
最近は気温が高くなってきたけど、それでもテント内の結露がひどい。今日は朝から曇りみたいなので、乾燥させるのに時間がかかりそうだ。
朝飯は、手元に気軽に食べられて腹が膨れる食料がないので、家から持ってきたインスタント味噌汁を。具はほとんどないけれど、これが美味しいのだ。
味噌汁をすすっていると、ちょうど公園内に朝日が差し込んでくる。「いい景色だなぁ、これだよこれ」などと思いつつ、空想にふける。
日本一周の旅やテント生活が終わっても、毎日朝日を拝める生活をしたい。旅から逆算して日常生活に欲しいものを選択してゆく。まずは、着実に自分のコントロールできる範囲を広げてゆくこと。
少し走るとコンビニを発見してしまったので、朝から大量にパンを買う。最近はあまり節約を考えず、自分の食べたいものを食べている気がする。(笑)
近くにスーパーがあれば間違いなくそちらを選ぶレベルではあるが、まだ閉まっていたのだ。日本半周で「どの程度の資金が最低限あれば生きられるのか」をおおよそ実証できたと思っているので、次の段階へと進んでいきます。
さぁ、今日も紀伊半島のアップダウンを越えてゆくぞ!いざ、伊勢国へ!!!
神聖な場所
というわけで、今日も再び紀伊半島のアップダウンの洗礼を受けつつ前へ進んでゆきます。伊勢まで進むともう平坦区間へと入ると思うので、今日が最後の地獄となりそうだ。
まぁ日本で、かつ自転車で走っている以上アップダウン地獄は避けられないのだけど、少なからずこの区間を越えれば楽になる。
道の駅伊勢志摩へ到着!そういえば、今日が土曜日なのを忘れていた。駐車場に停まっている大量の車に困惑しつつ、シエスタタイム。
そうそう、このシエスタも日常の生活で習慣化したいと思っている。特に頭脳系の作業をしているとき、昼寝をすると一気に能率が上がるのだ。体を動かす土木関係の人なんかも必ず昼寝の時間を設けているけれど、能率を上げるためには絶対必要だと思う。
さて、1時間ほどのシエスタタイムも終わったので、いざ伊勢国へ。レッツゴー!
伊勢神宮の別宮「伊雑宮」と古老
道の駅伊勢志摩から少し自転車で走ったところに、14箇所あると言われる伊勢神宮の別宮の1つ「伊雑宮(いざわのみや)」があった。
伊勢神宮の内宮は全て伊勢の周辺に散らばっているわけですが、この「伊雑宮」だけ志摩市に建設されているんですよね。伊勢神宮内宮から離れていることもあって、参拝客はまばら。
まずは手を清めてから探検してゆきます。
ほとんど人がいないこともあって、神聖な雰囲気が漂っている。
神社にはあまり詳しくないんだけれど、観光客がたくさん集まっている場所は神社の存在意義が形骸化しているというか、少なからず参拝する価値を感じることができない。
が、この伊雑宮は格式が高い神社でありながら、家の近所にある神社とそう雰囲気も変わらないので、親近感が湧いてくる。という発言はおこがましすぎるか。
「夫婦杉」という存在感抜群の2本の木。すごい角度で生えている方の木は支えがないと今にも倒れてしまいそう。
中が完全に囲まれている井戸。相当古い井戸なんだってね。なぜ囲われているかは不明。
池が勾玉の形をしている、「勾玉池」。そのまんま。
す、すごいコブだ。
こちらが「伊雑宮」の社殿。思ったよりも小さくて素朴だぞ・・・。
伊雑宮には天照坐皇大神御魂(あまてらしますすめおほみかみのみたま)が祀られており、皇大新宮別宮の中でも非常に高い格式にあるらしい。
自宅の近所に22社のうち下社である「廣田神社」があって、社殿には「天照大御神荒魂」が祀られているという。小さい時から神社の価値がわからないまま頻繁に遊びにいっていたようなんだけど、そんなところで親近感が湧くなど。
社殿自体が最近改修されたのか?目新しそうな建材が使用されていた。爽やかでいいのだけど、なんとなく「本来ここにあるはずのものがない空虚さ」みたいなものを感じてしまった。気のせいかな。
伊雑宮の周辺図を見ていたら、すぐ隣の敷地に「お接待」を行っているという場所があることを発見した。
「お接待・・・?京都のお寺巡りで抹茶を出してくれるみたいなノリだろうか?」と思って近づいて見ると、一軒の家があった。普通の一軒家のようだけれど、どうやら自宅の一部を開放して伊雑宮に関する資料を展示しているらしい。ほうほう。早速見学。
伊雑宮に関するいくつかの資料と、この場所で毎年6月24日に開催されている「御田植式」の映像が流れていた。伊雑宮に奉納する米の田植えを行っているらしく、日本三大本三大御田植祭と言われている。
しばらく資料を拝見しながら設置されていたウォーターサーバーで喉を潤していると、一軒家からガラガラとおじいさんが出てきた。
「旅の方かな?何か聞きたいことはある?哲学でも、思想でも、歴史でもなんでも聞きなさい」という。え?なんだこの、いかにも旅らしい展開は・・・。
よくよく調べると、この場所は「御師の家・森新」という名前で、特定の寺社に所属し、その場所へ案内・参拝・宿泊などの世話をしていた「御師」を再現した場所のよう。昔はよく神社の信仰を広めるために、このように接待をして営業活動をしていたらしい。この場所に住む「森和夫さん」という方は、先祖から続く御師としての活動を今も続けているらしい。ほへー・・・。
「自宅の裏で塩を作ってるんだけど、よかったら見てみるか」と言われたので、「はい」と答えて自宅裏まで案内してもらう。
この方、長年「御師」として様々な旅人をお接待されているだけあって、知識量が半端じゃなかった。失礼だが、思わず「アンタは歩く辞書か!」と突っ込みたくなるほど。(笑)
格式の高い神社のすぐ隣に住む御師の方と、神について議論する。なんと贅沢な時間だろう。知識量の差がありすぎて、こちらは「ふんふん」と頷くシーンが圧倒的に多かったのだけど。
「神は自分が信じなければ、その場に存在しないことと同じ。一神教だろうが偶像崇拝だろうが、そこに信仰がなければ神は存在しない。奈良の大仏だって、信仰がなければただの物質に過ぎない。人の信仰を捻じ曲げられるものでもないし、ようは自分が信じるか信じないか、ただそれだけのこと。」
「結局、その論理なら神は自分自身とも言えるんじゃないですか?
「そうかもしれんなぁ」
塩釜にくべる薪がなくなったので、薪を取りにいくおじいさん。この場所では昔からお接待として、旅人に少量の米と塩を渡す文化があるそう。そのための塩を毎日作っているのだという。数百グラムの塩を沸騰させて作るために、3日間もの日数が必要だという。
ワクワクしながらおじいさんと話していると、あっという間に日が暮れてきてしまった。あまり遅くなると寝床を探すのが大変になるので、おじいさんに別れを告げる。
「表に名前を書くような用紙があったでしょ。あそこに名前と住所を書いていきなさい。手紙か何かを送れるように。」旅で出会った一期一会の出会いをつなげるために、自身の住所と名前を書き残してその場を去った。結局伊勢神宮へ訪れる時間はなくなってしまったけど、とても重要な出会いを果たした気がする。
伊雑宮のすぐ近くにある、前述した「御田植式」を行う料田。不思議と夕日が美しすぎて、思わず「ありがとう」と言いながらお辞儀をしてしまった。
ふと気づけば、月末には桜が咲き始める季節になっていた。日を追うごとに気温も上がり、だんだんと春の訪れを感じる。
確実に一日一日時間が過ぎ去ってゆくなかで、自分のやるべきことは何なのか、自分の役割とは何かを考えている。
無為な時間を過ごすほど悲しいものはない。焦っても仕方がないけれど、旅をしながら自己と向き合うなかで、自分自身の役割が少しずつ、少しずつ見えてきたかもしれない。 その僅かな希望に向けて、明日も自転車で走り続ける。その先に何が待っているかはわからないけど、それでも前を向いて進み続けるしかない。
さて、かなり暗くなってきてしまったけど、今から伊勢国へと参ろう。今は確実に先へ進み続けるしかない。伊勢神宮にも行きたいしね。いざ。